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愛向ける人

 柔らかな笑顔。
 日々に受ける憧憬。
 一心に注がれる愛情は、進にとって生まれて初めて自分の努力ではなく得たもののように思えるから、どう返していいか分からない。
 大切に、したいとは思うのだ。
 予期せずして触れた瞬間から不可思議に速くなる鼓動や、進を呼ぶ声を聞き分ける感覚など、鍛練によるものではない。それより顕著な身体の反応が、柔らかな笑顔を向けられるたびに後ろめたい。後ろめたく思うことがあるような、そんな人生を歩んできたつもりはないのに。
 夜の就寝前や朝の微睡みに浮かぶことが多くなってから、進ははっきりとラブに向けての生理現象を認識した。だから、後ろめたいのだ。

 シャツの下に隠された筋肉のラインを二の腕の内側のような肌色で埋める。勝手に作った人体のラブを想像する。進の都合で想像のラブは制服を着ていたり私服であったり練習着だったり体操着だったり、何も身につけていなかったりしていた。
 想像のラブはやはり進の都合で汚される。何度でも。
 現実のラブは進に笑いかけ、憧れている。綺麗なまま。
 便器や風呂場にぶちまけられた精液を見て、深い失望感と罪悪感に襲われる。
 なぜか。

 進は今まで、それは生理現象なのだからやましいことだとは思わなかった。
 今、自分に失望するのは、相手がいるからだ。ラブの知らないうちにラブを想像して射精している。ラブに罪悪感を感じるのは進がラブを汚しているように思えてならなかったからだ。
 だがそれは不自然なほど、快楽を得た。

 ようやく焦がれた戦いが終わり、気が抜けたのか、と自分を叱咤するものの、実際の手応えを考えると、そうではない。むしろラブが恋人になってから進は、さらに高みに進んでいる自分を自覚している。
 人は同じ存在にはなれないのに、ラブの願いは進と同じになることだ。では進の望みは何か。
 自問して、進はそれほど自身の望みがラブの願いと変わらない、と結論を出す。

 想像のラブではなく現実のラブに触れたい。
 抱いて同体になりたい。
 ひとつになってしまいたい。

愛向ける人

 

 

 

 

 

「自慰行為をするだろう?」
 ジイコウイ。
 と、桜庭の頭はカタカナで受け取った。ひらがなでもいい。
 じいこうい。
「進、もう1度言って。何言ったか聞こえなかったと思うから。でもなるべく声、小さく」
 かなり機械的に桜庭はそう言った。
「自慰行為をするだろう?」
 だから、という言い聞かせるような前置きもなく、要望通りにリピートされたので桜庭は遠慮なく噴いた。飲み物も食べ物も、飲み込んだ後に聞き直したので汚いことにはならなかったのが幸いだ。
「・・・はい。しますね。健康な男の子だもん。俺」
「恋人を、想像するか?」
「想像しちゃうね、俺は」
 なんでも話せる友達って進くらいかも。
 と桜庭はこの時思った。こんな話なのにそこまで抵抗がない。場所くらいか。今、普通に昼休みの教室だ。
 さっくり答えると返事がない。
「何?進は想像しないの?」
 桜庭が尋ねると、今度は答える。
「想像している」
 ちょっとうれしい情報だ。進もヌくんだ。とか。
 アイドルは排泄系をしなくても生きられる、という妙な発想を進にも適用していたところがあった。同様のことを日本中に散らばるファンに思われていることを差し置いて、桜庭は喜んだ。
「何で急にそんなこと聞いたんだ?」
「俺は・・・・・・」
 進は言葉を切る。校庭に流れる視線。桜庭も目を向けたが、そう偶然が起こるはずもなく、目当てとなる人物はいなかった。
「謝りたくなる」
 あ、それ、ダメ。絶対。
「分かるような気もするけど・・・!それはちょっと・・・!」
 どこかのキャッチフレーズを心の中で唱えて桜庭は焦る。
 進のことだから、まじで、本気で、リアルに、謝りたいと思ってるのだ。その前に桜庭に言っただけえらい。
「だが・・・」
「ラブちゃんに、勝手に服脱がせて股開かせて顔にかけてすみませんでした!って言うのか!?言えないだろ!?」
 ちなみに、小声だ。
「・・・顔にはかけてない」
 珍しくも桜庭に押された形の進が口にしたのはかなりどうしようもない反論だった。
「あっそ。俺はかけてんの。すみませんでした!」
「・・・俺に謝罪をしても仕方ないだろう」

 ぐだぐだである。
 強引に出した結論は。
「黙っとけば謝らなくていいじゃん。バレた時に謝れば?」
 目撃されることほど恥ずかしいものはないと思うけど。
「・・・そうしよう」
 納得したようだ。

「あれ?進とラブちゃんって、もうやってんの?」
 素朴な疑問。想像つかなすぎて。
「やってる?何をだ」
「セックス」
 堂々としたアイドルである。
「いや、まだだ」
 なるほどさらに罪悪感を感じてしまう、と。ていうか、『まだ』だなんて、やる気は十分なんだなあと。
「進、き真面目だからなー・・・そうだ!」
 ラブの性格も加味して、かなりいけそうな案に思えた。普通の女子だとだめかもしれないけど。
「言ってみれば?進がラブちゃんにしたいことを。ラブちゃんに」
「俺がラブにしたいこと・・・」
「してもらいたいことでもいい。謝りたくなる気持ち、薄れるかも」
 進は投げられた疑問を吟味している。桜庭はぼんやりその様子を眺めていた。

 愛まで手に入れたら努力する天才は怖いものなしだな。
 ああ、そういえば、ラブって名前だ。

 桜庭の独り言は小さすぎて進に届いていないようだった。

以上

なお、桜庭の相手はファンクラブ会員00001号ちゃんのイメージです。

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