境界線
N-6
火のない所に
煙は立たぬ
あれは、痛いのだ。
ネオンは学校にすら通っていない。勉強ができるようになったのは占いが発現してからだ。その頃には通常の学生と年令が離れていたため、通信スクールだった。ネオンの知識は読み散らかした本に依るところが大きい。
学校で習うことなのかは知らないがセックスのことは本でしか読んだことがなかった。痛みと違う何かが曖昧になる感覚なんて初めて知った。
それを教えたクロロは、ネオンがもう命なんていらないと思って拒否し、その日一日中ベッドから出なくても、薄く笑っただけで責めなかった。ネオンには決して一時的な感情ではなかったつもりのそれが、実際には一時的な感情だということを見抜いていた。
あんなことはもう嫌だ。顔も見たくない。
と、心底思っても時間が過ぎれば日常のルーティンを怠っていることを思い出す。
あれが終わった後、ネオンはクロロに、体の隅から隅まで丹念に洗われた。なのに、腹からクロロが消えない。異物感の残る股の間が本当に、クロロの所有物だという証を残されたみたいで、自傷する寸前だった。でも下半身を切り落とすにはネオンの力が足りなさそうだと、腰の一部に刃を滑らせてから、妙に冷静にセーブがかかった。
鋭利な痛みの端からクロロに開かれた時に出たよりも濃い色が、流れた。
「ご飯、用意するんだ?」
「・・・ほっとくとクロロさんは自分の分も用意しそうにないんだもの」
「だってそれは君の仕事だからね」
ネオンは分かりやすく頬を膨らませたのにやはりクロロは微笑んだだけだった。
「今日はこっちで食べようか」
クロロはダイニングテーブルではなく居間のソファを指す。ネオンはうなづいた。
ソファの前のテーブルにディナーを用意するとネオンはソファに座るクロロの足元に直に座った。毛並みのいい絨毯が敷いてあるので苦ではないのだ。ソファにも寄りかかれるし。
「はい」
ネオンの腰の辺りにクッションがあてがわれる。
「・・・ありがとう」
原因に気を遣われるのは悔しいけど、格段に楽になったのは確かだ。
食べにくい、と言って、クロロも絨毯に座ってふたりして低い位置で食べた。
夕食が終わって、片付けをしたネオンが居間に戻るとクロロはテレビを見ていた。もちろんすでにソファに座っている。
テレビには最近話題になっている、新種の生物のニュースが流れていた。ネオンも一度だけ生放送中の事件を見た。あんなに人が簡単に死んでいくのに、大陸が離れているからどこか違う世界の話に思えていた。でも生々しい映像で、現実味を抱いた。誰かが何かをしなかったらネオンも食われてしまうのだろう。
ネオンはそこまで考えて、終わった。これはテレビの向こうの話で、ネオンはその“誰か”には、ならないから。
紅茶をテーブルに置いて、ネオンはテレビを見たまままたぺたりと絨毯の上に座った。番組の間のニュースは、終わりを告げていた。
頭の上から声。
「おいで」
首を振った。クロロは笑う。
「ほら、おいで」
ネオンはクロロを見上げて頬を膨らませる。クロロは膝に肘をついて、もう一方の手でネオンの跳ねた髪をいじっている。
自分の意志をはっきりさせないとお仕置きをするのは誰だ。これじゃ自分の意志さえ貫けない。
「わぁっ」
それでも動かないでいると、腕をとられ腰を抱かれ持ち上げられて、クロロの足の間に座らされた。男の両手が腹の前に回ってくる。
「痛い?」
悔しくて強がろうかとも思ったけど、散々痛いだの嫌だの止めてだのと泣いて喚いて、その上今日一日をベッドで過ごしておいて、それもないかな、と思った。
ので、うなづいた。
「痛くならないように準備したんだけどな」
やたら粘度の高いローションを使われたのは分かる。クロロが“準備”という表現を用いたということは、たぶんそれだけじゃない気がする。ネオンは頼りない記憶を手繰る。思い当たる常と違うことは。
「あの、アメ?」
「ああ」
「何か、入ってたの?」
「ちょっとしたものが」
なんだそのちょっとしたものって。
「紅茶とって」
「むー。はい」
ソーサーごと差し出したネオンからカップだけ受け取って、クロロは口をつける。猫舌なので、ネオンは端から煎れたてのお茶にチャレンジするつもりはない。
いつでも受け取れるようにソーサーを持ったままの、ネオンの下腹部が撫でられる。まるで、労られているみたいだ。ネオンの身体を気にしているというのだろうか。
「置くよ」
カチャ、とカップがソーサーに戻される。ネオンはやはり持ったままだ。今度は両手で腹を覆われる。
今は撫でるわけではなくただ、ネオンの下腹部の前に服を隔ててクロロの手がある。
触れる手の穏やかさに、怯えと安堵を同時に感じている。恐る恐るうかがうと、クロロは音楽番組が始まったテレビを見ていた。
以上